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宮崎禅師 死去

JUGEMテーマ:日記・一般

ご冥福をお祈り申し上げます。

宮崎禅師 過去BLOG記事 こちら

宮崎禅師 死去の記事 こちら

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at 10:22, 5zo6poo,

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永平寺宮崎禅師の言葉

永平寺 「104歳の禅師」・「修行の四季」
永平寺 「104歳の禅師」・「修行の四季」
鎌倉時代からおよそ750年間続く、仏教の曹洞宗大本山・永平寺(福井県)の第78代住職の宮崎奕保(みやざきえきほ)禅師(104歳)。史上最高齢の住職はひたすら厳しい戒律を守り続け、その姿は寺で暮らす修行僧にとってはまさに生きた仏のような存在。その禅師の姿を通して、禅とは何か、そして人が生きる道とは何なのかを探る。
104歳を迎えた現在も日々坐禅や写経に励む宮崎禅師は、自らの言葉で教えや思いを語る。それは誰の心にも響く教訓であり、普遍的で美しい。
(NHKスペシャル / 2004年6月5日放送 / 約49分)

何度見てもすばらしい。

宮崎禅師の言葉より

 「身心は一如やから身体をまっすぐにしたら心もまっすぐになる」

 「教えというものは何がためにあるかと言えば、教えは実行するためにある」

 「ほめられても、ほめられんでも、すべきことをして黙って去っていく。
  というのが実行であり、教えであり、真理である。」

五臓魂にしみました。

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at 14:09, 5zo6poo,

comments(2), trackbacks(0)

永平寺の師

私たちの仲間でブームになっている「禅」の世界。
そのとっかかりは、NHKスペシャルで数週間前に放送された
「永平寺の104歳の禅師」。

そのビデオをまた見てしまった。それも連続2回。

何度見ても凄い。まさに「達人」である。

11歳から93年間毎朝座禅を行っている永平寺の住職、宮崎禅師。
その座る姿は2500年前に釈迦が菩提寺の前で悟りを開いた時と
同じ姿だそうだ。これだけでも参ってしまう。

その宮崎禅師の言葉から
■身心は一如(一つ)やから身体を真直ぐにしたら心も真直ぐになっとる。
■何も考えない。妄想せんことや。その時、その時、一息、一息しかない。
 何かを考えたらそれは余分や。
 欲を克服するすべを覚えなあかん。それが座禅や。
 息と一つになる。そうなると欲のおこる隙がない。
■禅といえば生き方すべてが禅だ。
 歩いたら歩いた禅。しゃべったらしゃべった禅。
 スリッパも脱ぐのも禅。スリッパがゆがんでおるということは心が
 ゆがんでおるということや。
■人間はまねをせなあかん。
 学ぶということはまねをするということからでておる。
 1日まねたら1日のまねや。2日まねたら2日もまねや
 一生まねたらそのまねはほんまもんや。
■自然は立派やね。何月何日に花がさいた。虫が鳴いた。
 ほとんど違わない。規則正しい。そういうのが法だ。
 法にかなったのが大自然だ。法にかなっておる。
 だから自然の法をまねて人間が暮らす。
 人間の欲望に従っては迷いの世界だ。
 真理をだまって実行するのが大自然だ。
 誰にほめられようとも思わんし、これだけのことをしたからこれだけの
 報奨がもらえるということもない。時がきたなら花がさく。
 ほめられてもほめられんでもすべきことをして、だまってさっていく。
 そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。

五臓六腑にしみる「師」の言葉です。

at 21:31, 5zo6poo,

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